ART55ー町田で55人のアーティストを紹介するプロジェクトー VOL.17 (27人目)加藤 真史 

加藤 真史個展

Sagamino Fabric
ー相模野を線で編むー

『この大いなる空地をわたしは美しい名で満たす。―― 加藤真史さん「Sagamino Fabric – 相模野を線で編む -」に寄せて』(平岡 希望氏寄稿)

 古風な針金ハンガーの底辺を、ぐっと引き伸ばして作ったひし形みたいなステンレスパイプ。螺旋階段を上がるみたいに、つややかなその表面を日の光がなめていくのはこのモニュメントがゆっくりと回転しているからで、「夕方になると時計回りに変わって、光が大地のほうへ降りてきます」と、アートネットまちだの齊藤弥さんにガイドしてもらう間も、《光の舞い》(伊藤隆道 作)はお化け煙突のごとく、今度は逆さまのCみたいになってまたほどけていく。光が蒸発していくようなそこから見上げた空は初夏らしい爽やかな快晴で、JRと小田急、2つの町田駅をつなぐペデストリアンデッキは、ゴールデンウィーク初日の4月29日ということもあってか普段以上に賑わっていて、あの人だかりは猿まわしを見物しているらしい。「まちだのパブリックアートツアー」は始まったばかりだった。

パブリックツアー集合場所は町田駅の「光の舞」(伊藤道隆 作)前 ※撮影日はツアー当日とは違って雨模様

シティゲート(黒川 紀章 作)

 振り返れば右手にはJR横浜線が伸びている。正面数百メートル先の山、光の迷彩をまとう銀のアーチを齊藤さんは「覚えていてください」と言って、1時間半ほど経った後、私たちは改めてその《シティ ゲート》(黒川紀章 作)を見上げた。鏡面のような膚(はだえ)が反射した空は雲を泳がせている。《光の舞い》から町田市立国際版画美術館前の通り、そして文学館通りを経由したツアーはそれこそアーチだ。その足どりが、加藤真史さんの《郊外の果てへの旅と帰還 #10(小島烏水の相模野横断)》右上に、精緻な筆致で描かれた2つの構造物をなじみ深いものにして、それらと三角形を描くもうひとつのモニュメントを見る。交差した鉄骨みたいなそれが《彫刻噴水・シーソー》(飯田善國 作)ならば、そのあたりが版画美術館もある芹ヶ谷公園のはずで、右横に描かれた長い階段を、園内で見かけた気もするが定かではない。

 《彫刻噴水・シーソー》と階段、《光の舞い》と《シティ ゲート》を2つの底とする台形は、やまと絵のかすみや雲のごとく配された緑地、色鉛筆でやわらかく塗りあげられた色面によってゆるく仕切られている。そして、それら4つのランドマークを結ぶ、水彩のネガティブペインティングによって白抜きされたラインは、アーチを描くようだったパブリックアートツアーの道のりを私にふたたび思い起こさせて、台形を二分する水色の路は、旧町田街道なのだろうか。Google Map 上を街道沿いに北西へ進めば駅前広場の「絹の道 碑」を見つけられるが、それは《郊外の果てへの旅と帰還 #17(原町田ファンネル)》に描かれていた。

 会場である「COMMUNE BASE マチノワ」の窓辺を直角とした三角形を考えれば、《相模野横断》は60度、《原町田ファンネル》は30度の角に相当する位置へそれぞれ掛けられており、「絹乃道」「此方はちおゞじ」と刻まれた石碑が鎮座していたのは後者の左上だ。その石碑の近くにもまた《光の舞い》と《シティ ゲート》が、先ほどよりも大きめに描かれており、①町田駅から上り方面へ、成瀬~長津田~十日市場~中山と続くJR横浜線のラインと、②国道16号線から小田急江ノ島線(相模大野~東林間~中央林間~南林間)へと流れるラインの2本に囲われた一帯を、加藤さんはその末広がりな形状に基づいてファンネル(漏斗)と呼び表したようだ(cf., 『原町田ファンネル Fieldwork 相模野 6』https://note.com/masashikato/n/n5fe401c02d1b )。

 しかし、だからといって漏斗状のラインが明快に描かれているわけではない。砂利あるいは星空のような画面に浮かび上がる経路は、むしろ葉脈や鏡のひび割れのごとく絵画空間を分割していて、入り組んだコマ割のマンガ的構図とも言えるかもしれない。それは、たとえば Google ストリートビューにおいて一見したところ継ぎ目なく繋げられた道が、実は画像の非時系列的な連続であることとも似て、そこに散りばめられたランドマークは、時に “コマ” で分断されつつも、鎹(かすがい)のごとく画面を繋ぎ留めているのではないか。

「キュビスムにはいくつかの段階があります。初期の段階では、立体を個々の面に解体していく作業が中心となります。色彩をあまり使わず、モノトーンで対象の形の分析に集中した時期です。分析的キュビスムと呼ばれるこの方法は、つきつめていくと完全な抽象絵画へと至り、現実の事物との関わりが失われてしまいかねません。しかしキュビストたちはそれを望まず、画面に文字を書き込んだり、新聞や壁紙の切り抜きを貼りつけたりして、その関わりを補おうとしました。」(冨田章「コラム キュビスム」『ピカソと20世紀美術 富山県立近代美術館コレクションから』東京ステーションギャラリー, p.30)

 分析的キュビスムに対する「総合的キュビスム」について冨田氏はこのように述べているが、ひび割れ、あるいはコマ割のごとくデフォルメされた道路や水路、それらが縦横無尽に蛇行し交差する画面へ配された写実的なモニュメントもまた、「現実の事物との関わり」を補完すべくコラージュされた新聞や壁紙のようだ。そうした構造は、本来ならば等高線のごとく木目が走るマチノワの壁を覆う “タイル”、色鉛筆の絹糸めいたストロークで塗られた青、緑、墨色…の紙片群の上に、《原町田ファンネル》ほか数点が掛けられていることで増幅されていた。さらには、このインスタレーション自体が、個展『穹窿航路 – 蚕神、彼の地より来訪し桑海を渡り帰還す – 第Ⅲ期 筑波巡礼篇』(2024年11月1~17日_gallery neo_/ Senshu_茨城県つくば市千現1-23-4 マイコーポ二の宮101)のいわば残響であり、これらは制作中に出た断片らしい(cf., https://www.masashikato.com/work?pgid=lvns0cix-1b44706d-2f4d-4689-95af-226ce1ce6953 )。

 《原町田ファンネル》から右へ目を向ければ、《境川フィールドワーク》と《境川フィールドワーク #2》が隣り合って展示されている。(色)鉛筆だけでよりシンプルに、しかし変わらず写実的に描かれた駅や石碑、建物群の間を(毛細)血管のごとく抜けていく道のりは、《境川フィールドワーク》においてより地図的で、電子機器の基盤みたいだ。これらが「フィールドワーク」と題されているように、加藤さんは文献・実地調査に基づいて絵画制作および執筆を行っており、同作についても『境川ベースライン遡行 Fieldwork 相模野 5(https://www.masashikato.com/text )として、2日間にわたる行程が著されている。また、同フィールドワークとテキストに関わる第3の作品として《境川四重線》があり、それは、マチノワのシンボル的調度品である杉の大テーブルの向こうに展示されていたのだが、こちらはさらに地図だ。画面を横切る境川、小刻みな山並みあるいは海岸線のようなそれと並走するJR横浜線(相原~橋本~相模原~矢部~淵野辺)と国道16号線、相模野絹の道、戦車道路の「四重線(ベースライン)」に沿って、地名、駅名、道路名が書き込まれている。

「もともと美術には、造形的な要素(どのように表現するか)と意味的な要素(何を表現するか)が共存している。歴史画や宗教画などを思い浮かべるとわかりやすいが、作品にはそもそも表現すべき内容(歴史や宗教の教えなど)があり、それをどういう方法で表現するかが、時代によって、あるいは地域によって、さらに一人ひとりの作家によっても異なっている。(…)

 ところが19世紀から20世紀にかけて、それがふたつの傾向に分裂していく。(…)

 最初の流れを『造形探求派』、ふたつめの流れを『意味探求派』とでも呼んでおく。(…)

 これは言い換えるなら、20世紀の美術史に、『造形性』と『意味性』という2本の補助線を引くことと同じだ。」

(冨田章「20世紀美術を理解するための2本の補助線」『ピカソと20世紀美術』p.10)

 冨田氏は「造形性」「意味性」という2つの傾向を設け、もちろん相互に近接し影響し合ってきたとしつつも、前者をキュビスムから抽象表現主義やアンフォルメルなどを経てミニマリズムに、後者をダダからシュルレアリスム、ポップアートそしてコンセプチュアルアートに至る水脈とした(cf., 同書, p.10-15)。たとえば《境川四重線》、《境川フィールドワーク》、《境川フィールドワーク #2》そして《原町田ファンネル》を見比べてみても、意味性(地図)と造形性(絵画)との間を逍遥するような足どりが感じられて、そうした試みのひとつとして、経路の描き方の違いがあったのではないか。

 まず、各地点の名称が4本のラインに沿って配された《境川四重線》では、その書き込まれた文字たちが『ヘンゼルとグレーテル』のパン屑、あるいは虫ピンのごとくそれらの道々を明示しており、《境川フィールドワーク》においても、各地点のランドマークや「小惑星探査機『はやぶさ』(初代)」(cf.,『境川ベースライン遡行 Fieldwork 相模野 5』【1日目】)が構図的に配されながらも、その “地” として細かく描かれた経路は地図的だ。対して、《境川フィールドワーク #2》においては、描かれる道がランドマーク同士を結ぶものにおおむね絞られ、かつ太めに描かれており、加藤さんのポートフォリオサイトの WORK ページ(https://www.masashikato.com/work )を見ると、「フィールド(ー)ワーク」と題された作品には「踏査日」が付されているのだが、《#2》は、“#1” に比べてより加藤さんの歩み、経験としての時間を感じさせる。

「『ここにあったんだよ、パン屋さんが』、『あそこなんだ、デュプュイおばさんが住んでいたのは』。ここで印象的なのは、生きられた場所が不在の現前のごときものだという事実である。いますがたを見せているものは、もはやないものを指し示す。『ごらんなさい、ここにあったんですよ……』、そう言いながら、もはやそれは見えないのだ。場を指し示すことばは、目に見えるものについて、その見えざるアイデンティティを語っている。事実、場所というのは、幾層にも重なった断片からなっており、その層のどこかに移っていったり、またそのどこかから出てきたりするし、そしてまた、こうして動きゆく厚みそのものを活用している。こうしたことこそ、場所というものの定義そのものにほかならない。

 『そこには、わたしたちの思い出がしみついているんです……。個人的な、他人には関係のない思い出ですけど、それだってやはり土地の霊には変わりないでしょう。』どんな場所にもさまざまな霊がつきまとっており、その霊は、『よび起こされる』かどうかはわからなくても、ひっそりとそこに身を潜ませている。」(ミシェル・ド・セルトー 著, 山田登世子 訳『日常的実践のポイエティーク』ちくま学芸文庫, p.261)

 加藤さんは、意味性と造形性のあわいを彷徨うように描くことで、あたかも遺構を発掘するかのごとく土地の痕跡を浮き彫りにし、そして「原町田ファンネル」「境川ベースライン」「穹窿航路」といった名を与えていくことで、「土地の霊」をよび起こそうとしているのではないか。そこには、「他人には関係のない思い出」から、地名や通りの名に刻み込まれた物語・伝説・歴史(cf., 同書第7章「都市を歩く」pp.232-272)までが含まれていて、《郊外の果てへの旅と帰還》連作において、描かれた道すじは上述のように “ひび割れ” であり、土地が「幾層にも重なった断片」であることを鑑賞者に突きつける。あちらこちらに配されたモニュメントも、重石のごとく地図を押さえているばかりでなく、時にもろともひび割れて、その傷口から覗いているのが、加藤さんのフィールドワークの足どりであり、100年以上前に相模野台地を踏破し、紀行文『相模野』を著した小島烏水(cf., 『資料 小島烏水「相模野」から 相模野台地を横断した人』https://yanenonaihakubutukan.net/4/sagaminodaitiwooudan.html )の歩みであり、名も知らぬ通行人たちが踏み固めてきた道であり歴史だ。故に、市井の人びとが闊歩する『洛中洛外図』などとは違って人物こそ描かれていないが、そこには見えない足跡(trace)があって、《原町田ファンネル》から振り返れば、正面奥の壁には《Trace the Trace (Hashimoto) #2》があった。

 

「絵画シリーズ『Trace the Trace』のモチーフは私が住んだことのある、また通勤・通学等で通ったことのある土地の航空写真であり、制作によって出た痕跡付きの紙を貼ったパネルを支持体として使い、徒歩で特定の地域の道を覚えるように色鉛筆の線描を刻んでいく。」

「Trace the Trace」部分

(加藤真史『Trace the Trace -僕に踏まれた街と僕が踏まれた街-』https://note.com/masashikato/n/n9311c6ae78a6

  橋本駅をおおむね中心とした画面下には南橋本、上は鑓水あたりまで描かれていて、右上の、いかにも団地という網目状の道から少し左にあるのが、加藤さんの母校だという多摩美術大学だろうか(Google Map によれば、団地のすぐ右側には「絹の道」も走っている)。ストイックに描かれた、果てなく分岐する道々にはしかし “地雷のように、当時見た風景や考えたこと、聴いていた音楽などが埋まっていて”(cf., 同上)、

「庭の木が私が登らなくなった三十年ちかい歳月のあいだに形を変えているのは間違いないけれど、変わっているのはおもに枝の広がりの先の部分で、だから私があの頃の自分の体の動きを頭の中で再現することができるのは、幹にちかい部分の枝が太さを変えても基本的な形と位置を変えていないことと、枝の広がり方にある程度の法則があって、その表面の相をひとつ取り去れば三十年前と変わっていないというようなことによるのだが庭の木のそういう変化したと同時に変化していない形を見てそのことを考えているうちに、家もある種の形の変化というか相貌の変化を起こしているのではないかと思うようになった。」

(保坂和志『カンバセイション・ピース』河出文庫, p.240)

「『木はすごいよなあ。百本あれば百通りの枝の広がりをする。しかも枝の広がり方を正確に伝えるだけの種類の言葉が人間にはない。言葉だけじゃなくて、正確に絵で再現する認識力も人間にはない。ごちゃごちゃこんもりした一番あたり前の絵を描けば、どれでもこの木に少し似て見えて、しかし絵とこの木を比べてみれば似ているところなんかほとんどない。』」

(同書, p.232)

「戦後日本社会に急速に拡がり現在も存在する典型的な郊外に生まれ育った」という加藤さんは、「そしてそんな郊外に対して『ありふれているが故郷と似ている」という、愛憎とも郷愁とも無感動とも近いようなねじれを感じている』と続けるが(『ATRACE -垂直の視点の面影-』https://note.com/masashikato/n/ne081e685b1b5 

)、彼の制作そのものが、資料を目で、道を足で、支持体を手で逍遙することだ。それは、木の枝ぶりを体で覚えていた「私」と重なって、おそらくそうした経験が、「私」に「百通りの枝の広がり方」という洞察をもたらしたように、加藤さんもまた、“ありふれた郊外” をリサーチし、それを執筆と絵画制作という2つの経路で発表することで、「枝の広がり方を正確に伝えるだけの言葉」と、「正確に絵で再現する認識力」を、追い求めているのかもしれない。〈了〉

注)タイトルは、『日常的実践のポイエティーク』(p.261)より孫引きした、ジョアシャン・デュ・ベレー『哀惜詩集(Les Regrets)』の一節による。

備考)引用したURLの最終閲覧日はすべて2025年9月27日である。

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