銅版画作家、島田北斗インタビュー
島田北斗 「実家」 2016年 ¥15,000-
今年の夏、銅版画作家の島田北斗さんにインタビューしました。 目まぐるしく変わるコロナ禍の日常で、この記事をアップするタイミングを逃していましたが、 年末年始、今年は例年とは違う実家との関り方をしている方も多いんだろうな、と思い、 この時期、島田北斗さんの「実家」という作品が頭に浮かびました。
島田北斗「サントリー角」 ¥7,000-
島田さんの作品はタバコや酒瓶、など、昭和の頃からある既存のデザインをそのままに作品にしています。
画面の端にそういった既製品が置かれている絵は多いと思うのですが、島田さんの作品はそれ自体が主役となっています。
この「実家」という作品も、家そのままを描いているのですが、それがそのままという訳でもなく、突き放されたものでもなく、どこまでもそのモノに寄り添っている感じがします。
島田さんにその辺りをインタビューしようと思っていたのですが、
お話しは島田さんのお父さんの事がメインに。
島田北斗「わかば」 ¥5,000-
画家であったお父様の島田澄也さんとの関係が島田北斗さんにとっては数年前までの作家活動の全てだったとの事です。
お父様の島田澄也さんは恐ろしくパワフルな方で、島田さんが美大に入るちょっと前までCMの造形美術や博物館模型の制作の会社を経営、60代前半までは経営者として辣腕をふるっていました。
ところが62歳ごろ、取引先の大事な資料を電車の網棚に忘れるというミスを社員の一人が犯し、責任を取る形で会社を退きます。
会社を退いてしばらく家でぼーっとしていたそうですが、若いころは油彩画を描いていた島田澄也さんは、退職して2~3年後から再び筆を執ります。
更に4WDの車を購入したことで、本来のパワフルな個性を取り戻します。
そんな父親の変化が息子である島田北斗さんの人生に大きく絡んできます。
島田澄也さんは車に布団と油彩画の道具を積んで、絵を描く旅に出始めたのです。
2人いる息子のうち、次男の北斗さんを連れて。
ここまで聞いて、「4WD」というのが島田澄也・北斗さん親子が醸し出すノスタルジックなムードとどうにも違和感があったのですが、
それは島田澄也さんが描いたいたものが戦争の記憶画だったからかもしれません。
私が見てきた戦争画は戦時中に国の命令で描かれた戦争画でしたが、島田澄也さんは反戦の思いを込めて、戦争の記憶を平成の時代に絵画に残しています。
第二次世界大戦と4WDと20代の息子。放浪の旅。
北斗さんのお話を聞いて、何やら映画を観ているような気持ちになりました。
旅をして絵を描くのですが、行く先々でトラブルを起こします。
というのも、人の家、しかもボロボロな家を許可もなく描くので、その住人が文句を言ってくる。 そして、一緒にいる息子には「お前はここを描け」と、描く場所を指定。ご本人は「嫌だった」と、言っています。
地方に行って見つけた蔦の絡まるレンガ造りの建物を勝手に描き始めた時は、中から綺麗な女の人が出てきて、「その絵をおいていきなさい」と冷たく言われたり、 砂浜の防風林の間に建っていた廃屋ともいえる家を描いていた時は、そこの住人が執拗に絵を描くのを止めろ、と言ってきて、頭にきたお父様はパレットナイフで絵を潰してしまったり。 ただし、お父様は、それに驚いた住人がいなくなったら、また描き始めたそうです。 確かに・・・、ある日突然、自分の家の前にイーゼルを立てて絵を描く二人組がいたら、私もやめろと言いに行く、と思います。 ちなみに澄也氏は油彩、北斗さんは水彩画を描いていたそうです。
と、こんな生活が北斗さん30歳になるまで、10年間続いたそうです。 特に仕事をしなくても暮らせるほど裕福だったため、父親について旅する時間が長かったそうです。 33歳になった頃、あまりにもブラブラしているから、という理由で知人が仕事を世話してくれます。 ところが、その仕事というのが大道具制作。 いきなり睡眠時間3時間の働きづめの生活が始まります。 そして、このタイミングで10年付き合った彼女と結婚。仕事を始めた事で、相手のご両親が結婚を許したそうです。
仕事は非常にきつく、何度か社用車をぶつける、という事故を起こし、結局、大道具の仕事は長く続きませんでした。 「でも、このタイミングで仕事を始めた事で、結婚できて良かった」と、北斗さんは言っています。 その後、転職をしながらも、子ども3人の家庭を築き、同業の奥様は銅版画工房を開きます。 あれだけ北斗さんを連れ回していたお父さんは、結婚後は干渉してこず、第一子誕生の連絡を入れた時はアユ釣りの真っ最中だったそうです。 そんな父親の変化を感じながらも、北斗さんの中でお父さんの存在の大きさは変わることはありませんでした。
「オヤジが強いのは、息子に影響する。飛び越えられないから、逃げる。」 と、北斗さん。
ある先輩作家は、 「あなたはお父さんのために作品を作っているでしょう」と、北斗さんに言ったそうです。 それが「本当にその通りだった」と。
そんなお父様が4年前に亡くなります。
そこで「呪いが解けた」そうです。
お父様の死をきっかけに、島田北斗さんの作品は今の様な形になったそうです。
私は2016年以前の作品を知らないので、どう変化したのかはわからないのですが 画面に定着したちょっと懐かしいアイテムたちの、ここにしかいられない感じが好きです。
【島田北斗略歴】
1969 生まれ
1995 多摩美術大学大学院版画科修了
プリンツ21版画グランプリ展入選
2002 個展 Gallery惺SATORU (吉祥寺/東京)
第70回日本版画協会版画展 準会員推挙
2004 個展 Gallery惺SATORU (吉祥寺/東京)
2010 第78回日本版画協会版画展 会員推挙 G賞受賞
国際アートトリエンナーレ(大阪芸術大学)
世紀のダ・ビンチを探せ 入選
2013 個展 櫻木画廊(谷中/東京)
2016 個展「子供のとき見た風景」Gallery惺SATORU(吉祥寺/東京)
2016 「Compilation 2016」Gallery惺SATORU (吉祥寺/東京)
2018 「COLLECTION-PRINTS&DRAWING」Gallery惺SATORU (吉祥寺/東京)
現在 日本版画協会会員
銅版画工房ART BASE代表